おにがしま


映画批評家      鬼塚大輔      による映画評その他なんだかんだブログであります。
by broncobilly
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「ローガン・ラッキー」(Logan Lucky, 17)

 劇場公開作品から'引退'していたスティーヴン・ソダーバーグ久々の復帰作。

 片田舎で不遇を託つチャニング・テイタムとアダム・ドライヴァー兄弟が妹ライリー・キーオ、金庫破りで収監中のダニエル・クレイグとその弟たちと共に、NASCARレース会場から大金を盗み出す大勝負に出る。

 ソダーバーグはご贔屓の監督なので、引退(と言ってもテレビの仕事は続けていたし、きっと戻ってくるとは思っていたのだが)は寂しかった。その分「ローガン・ラッキー」にも大いに期待しつつ、がっかりさせられたらどうしよう、という不安もあった。

 結論から言うと、がっかりはせず大いに楽しんだのだが、これまでのソダーバーグ作品のように「キネマ旬報」のベスト・テンに入れよう!という思うほどでもなかったのであります。

 まずマイナスの面から書くと、大金を盗み出す段取りと意外な展開、そしてどんでん返しに新鮮さが足りないこと。
 刑務所に入っていることをアリバイにするというのも、懐かしの「新・黄金の七人」をはじめとして、これまで何度も使われている手だし、どこかで見たことがあるようなアイデアばかりである。

 一番物足りないのは、意外なことが起こって観客を煙に巻いておいて、実は・・・という、目玉となるはずのサプライズにパンチが不足していること。

 悪くはないアイデアだし、ソダーバーグもさすがにきっちり見せてくれるのだが、編集と演出そのものに大胆なトリックが・・・というのは、ソダーバーグ自身の「オーシャンズ11」以降やり尽くされた感じで、ぼく自身この手のトリックは好きなのでTVの「レバレッジ」や「華麗なるペテン師たち」まで全エピソード観て免疫が付いてしまい(暇なのか?)、よっぽどのことでないとびっくりはしないのである。そしてソダーバーグであるがゆえに'よっぽどのこと'を期待していたのだ。

 サゲにも、もう一工夫欲しかった。

 で、楽しかった、さすがだなあ、と思ったことの方を書くと、一人一人のキャラの立ち方と、俳優たちの新たな魅力の引き出し方である。

 マッチョなイメージのテイタムに足を引きずらせ、ドライヴァーは義手。田舎に住む、うだつの上がらない兄弟をリアルに滑稽に演じさせて見事。ある場面とポスターでドライヴァーがボブ・シーガーのTシャツを着ていて、しかもグレイテスト・ヒッツのジャケット・デザインなのが、なんだか可笑しい。
 二人が淡々と演じているので、クレイグの弾け方が際立つ。007続投決定は目出度いが、こういうコメディ演技も続けてもらいたいものである。

 ソダーバーグは、舞台となる土地の'匂い'をスクリーンに充満させるのがうまいのだが、「ローガン・ラッキー」でも「ここの人たちはみんなトランプに投票したのだろうなあ」という空気がスクリーンを満たし、そのなかでキャラクターたちが活き活きと動いているのである。

 今回は二塁打と言ったところ。来年のUNSANEでは久々のホームランをお願いします。

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# by broncobilly | 2017-11-20 16:43 | 映画評

「ジグソウ: ソウ・レガシー」(Jigsaw, 17)

*軽いネタバレあり。 

 7作目で一応完結していたはずの「ソウ」フランチャイズ七年ぶりの新作。 ジグソウことジョン・クレイマーが過去に仕掛けたゲームを彷彿とさせるような殺人事件が起こり、ゲームの中で命を落とす人々の姿と、事件を捜査する刑事、検死官、その助手などの姿が交互に描かれる。後者の人々は容疑者たちでもある、と思っていたら死んだはずのクレイマーご本人が登場(ここがネタバレです)。え〜! どういうことよ?!となる。

 とまあ、こういう内容なので、これ以上ストーリーの細部に触れることは避けたい。 

 とびきり驚かされた「ソウ」第1作目だったが、シリーズの初期は大いに楽しませてくれた。ゴア<謎解き、という感じだったので。ラストで、それまでの伏線が一気に繋がり、意外な真相が明らかになるのを細かいカッティングのモンタージュで見せてくれるのがこのシリーズの醍醐味で、いつも新作を楽しみにしていた。 

 ところが後期の作品になると、ゴア>謎解き、という感じになり、真相がそれほど面白くも意外でもない分、人体破損の描写を過激にすることでごまかしているみたいで、7作目を観たときは、これが潮時だよなあ、と思った次第。 

 さて、「ジグソウ」では、とっくに死んだはずのクレイマーがどうしてゲームを主催しているのかというのが最大の謎で、これが変装とか双子とかだったら激怒するところ。 結論から書くと、きちんと騙して驚かせてくれたので、一応の満足感を得ることができた。 

 この謎解を、フェアではない!と怒る人もいるかもしれないが、ぼくはこの手のトリックは好きである。「ピラニア3D」とか、ろくでもない脚本ばかり書いてきた(観たけど、好きだけど)脚本家コンビとしては上出来である。 

 残念なのは役者陣に魅力がないのと、残酷描写が派手な割には、演出そのものに粘りというか重みが感じられないところ。「デイブレイカー」、「プリデスティネーション」など、ぼくはスピエリッグ兄弟の作風は好きなので期待していたのだが、可もなし不可もなしという演出ぶりだった。次の「ウィンチェスター」に期待したい。 

 可もなく不可もなくと言えば、本国での興行成績も同様なので、このフランチャイズの続きが作られるのかどうかは微妙なようだが、ぜひチャレンジしてほしいと思う。「ジグソウ」の結末から、第一期と別の形でどうやって物語を展開していくのか、製作陣のお手並みを拝見したいからである。

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# by broncobilly | 2017-11-11 11:14 | 映画評

「マイティ・ソー バトルロイヤル」(Thor: Ragnarok, 17)

「マイティ・ソー」シリーズ第三弾と言うべきなのだろうが、ここ数年のマーヴェル作品はクロスオーバーが進んでいるので、「バトルロイヤル」にもドクター・ストレンジやハルクが登場し、もっと大きな物語の一部という感じもする。    正直、ふんだんに特撮を使ったヒーロー映画には少しばかり食傷気味だし、「マイティ・ソー」の二作目はそれほど面白いと思えなかった。  それでも「バトルロイヤル」に大いに期待していたのは、監督がご贔屓のタイカ・ワイティティだからである。  

 この人の「シェアハウス・ウィズ・ヴァンパイア」に爆笑し(観客が一人しかいない静岡東宝の館内に、ぼくの笑い声が不気味に響き渡っていたはず)、その年のキネ旬のベストテンに入れてしまった。  次作の「ハント・フォー・ザ・ワイルダー・ピープル」は、日本公開される様子がないのでDVDを輸入。これも実に楽しい作品でワイティティはやっぱり侮れない、と確信した。  

 今回も期待が裏切られることはなく、この人らしい緩くツボを外したというか、一泊呼吸をずらしてみせる演出が作品世界にハマって大いに笑わせてくれる。  そもそも「ソー」の世界は北欧神話を下敷きにしているので、良く言えば荘厳、悪く言えば虚仮威し。いくらマーベルワールド中と言っても、マジメのやればやるほどアホらしくなる。「シビル・ウォー」でソーを欠席にしたのも、そのあたりに関係があるのではないかと思う。  

 1、2作目でも、ユーモアが強調されてはいたのだが、クライマックスになってマジメに盛り上げようとすればするほど、ばからしさの方が先に立って、もう一つノリきれなかったのである。  今回は、もうね、振り切れてます。ハルクではなくて、フツーの(フツーではないか)人間であるはずのバナー博士が高所から落下しても死なないあたりも含め、ディズニーとかピクサーではなくて、ワーナーのルーニー・トゥーンズ、メリー・メロディーズのノリで、そのノリが一応マジメにやっているクライマックスにおいても維持されるのがよろしい。  Lord of Thunderと呼ばれると一々怒る(God of Thynderだ!)、案外細かくて見栄っ張りのソー。完全にお笑いキャラと化したロキ(「アベンジャーズ」でハルクにボコられたトラウマが痛々しくも可笑しい)。良く事情が飲み込めないままうろうろしているバナー博士などの繰り広げるやりとりは、ほとんど吉本新喜劇。  

 ケイト・ブランシェット演じるヘラは、まあ、この人ならこれくらいできて当然という感じだが、やっぱり貫禄はあるし、この人だからこそ、キャラの無双ぶりに説得力も出る。  強すぎて浅野忠信なんて歯が立たず早期退場ですからね。まあ、それでもほぼ瞬殺のレイ・スティーヴンソンとザッカリー・レヴィに比べればまだマシだが。それぞれ1、2作目にも出演し、主演映画もTVシリーズもある、それなりの人たちなのだけれど。  

 グランドマスターを演じるジェフ・ゴールドブラムも楽しそうだが、この人の右腕役のレイチェル・ハウスが「ハント・フォー...」にも出ていて印象深かったので、さりげなくボケまくるのが可笑しくてしょうがなかった。 「アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン」や「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」が、なんだか暗くて重々しかったので、「インフィニティ・ウォー」には、「バトルロイヤル」の感覚をぱらぱらっと振りかけて欲しいものだなあ、と思ったりした。


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# by broncobilly | 2017-11-05 12:41 | 映画評

「ブレードランナー 2049」(Blade Runner 2049, 17)

 傑作「ブレードランナー」35年ぶりの続編。35年ぶりなのかあ。 

 あの年の夏、おれ様は大学生で、池袋西部のプレイガイドで「ブレードランナー」、「ファイヤーフォックス」、「コナン・ザ・グレート」、「ポルターガイスト」そして「メガフォース」の前売り券を買って、立て続けに観たんだよなあ。やっぱり一番印象に残って、その後何度も観ることになったのは「ブレードランナー」だったなあ。インパクトという点では、ある意味「メガフォース」も負けてなかったけど。 

 さて、「何とかカット」が登場する度に何度も観返すことになった「ブレードランナー」。オリジナルが傑作であればあるほど、続編がそれを越えるのは無理にしても、肩を並べることも、まあ、これならありだろう、と納得させてくれることさえ希有なことなので、まずは「2049」が満足できる出来だったことを喜びたい。 一応満足したのだけれど、あまりにも各方面で絶賛されているので、天の邪鬼なぼくとしては、まずは不満な点から始めたい。 

 まずは前作と設定が首尾一貫していない点があること。人間に取って代わられることを避けるために、第一世代レプリカントは寿命にリミッターがあったのでは? だから1作目ではロイ・バティと仲間たちが逃亡して、創造主に反乱を企てたんだよねえ。この設定があるから人とレプリカントの違い、雨の中で涙を流し'人'になるロイ、すぐに死んじゃうかもしれないレイチェルを連れて逃げる決断をするデッカード、でも人間だって死んじゃうんだから一緒かあ(ガフの名セリフ"Too bad, she won't live. But then again, who will? ")などと観客はイロイロなことを考えさせられるわけで、「2049」の冒頭で何十年も生き続けているらしいレプリカント(デイヴ・バウティスタ)が何の説明もなく登場してきた時点で???となってしまったよ。 

 もう一点。今回は主人公K(ライアン・ゴズリング)の'恋人'としてAIのジョイ(アナ・デ・アルマス)が登場し、人・AI・レプリカントの三つどもえで、哲学的考察が深められるのかと期待したのだが、このあたりが生煮えのまま、通り一遍で終わってしまっているのが残念。 とまあ、先に不満な点だけ吐き出してしまうと、あとは文句の付けようがない。ストーリーの詳述は避ける。シンプルなマンハント・ストーリーに哲学的な味付けを施した1作目に対し、「2049」はミステリの要素が強いのである。 ただ言えるのは、「ああ、このパターンで来たのか」と思っていると、更にそれをひっくり返して意表を突いた形で物語が進んでいく。その点では実に優れた脚本だと思う。

 そして、なんと言ってもドゥニ・ヴィルヌーヴの演出は今回も素晴らしい。子のストーリー展開なら、ブロックバスターを得意とする監督ならスピーディにテンポ良く綴って2時間程度でまとめるだろう。だが、ヴィルヌーヴは今回も、じっくり、ゆっくりと腰を据えて描くことを怖れていない。だから観客は一つ一つの場面の'画'としての素晴らしさ、美しさに没入することができる。 実際切り取って額に入れて飾りたいような卓越した'画'が連続するのである。 前述した「雨の中のロイ(人としての転生と死)」が別の形で再現される場面には心が震えた。 とりあえず、あと何度か劇場に出かけることになると思う。

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# by broncobilly | 2017-10-29 12:09 | 映画評

「バリー・シール/アメリカをはめた男」(American Made, 17)

 洋画の邦題が作品の中身を正確に反映していないというのはけっして珍しいことではないが「バリー・シール/アメリカをはめた男」という邦題は、近来まれに見る清々しいほどのサギである。

 実在の主人公は、CIAの手先として現金や武器を中米の国々に運び、成り行きからカルテルのために麻薬を運んで巨万の富を得ることになる。しかし、はめられているのは徹頭徹尾、バリー・シールという男なのである。CIAにはめられていると言ってもいいし、彼自身の'アメリカン・ドリーム'というやつに躍らされていると言ってもいい。そこから「面白うて、やがて哀しき」という、この映画の良さが生じてくる。やっぱり「アメリカン・メイド」という原題が相応しい。

 その意味で、この実は空っぽな悲喜劇をトム・クルーズ演じさせたのはまこと絶妙と言えよう。例えば今回のハーベイ・ワインスタインのスキャンダルに関しても何もコメントせず、またコメントすることも求められていないスーパースターであるあたりにも、虚像としてのイメージだけを要求されるクルーズという俳優のユニークさがわかるわけだが、バタバタと動きまわり、いくら物質的に豊かになっても満たされることのない、バリー・シールという男の内面にぽっかりと空いた底なしの穴を、クルーズは見事に表現しえている。地なのではないかという気がひしひしとするが

 ゲイリー・スピネッリのシナリオもダグ・リーマンの演出も実に快調。旅客機のパイロット時代の主人公が、仕事中にちょっとした悪戯をするエピソードをさらりと挿入することで、主人公の満たされない内面と無鉄砲ぷりを観客に伝えてしまうあたりは特に巧みである。
 主人公の妻を演じるサラ・ライト・オルセンは、リース・ウィザースプーンをちょっと崩したような容姿と個性で、ゴージャスすぎないところが役柄と合っている。

 カーター政権時代とレーガン政権時代が背景なのだが、ブッシュやクリントンも何気なく登場して、アメリカの裏現代史の面白さもあり。

 この作品で特に気に入ったのは、ラストでも出るになった人物の写真や、現在の姿を出さないことである。あれは卑怯だと思うんだよね。結局ラストで、「これは実話なんだから納得しろ。感動しろ」と物語の作り手が責任放棄しているみたいで。
 実はクルーズとリーマンが以前組んだ「オール・ユー・ニード・イズ・キル」は、あまり好きではないのだけれど、この作品は徹頭徹尾楽しめた。快作だと思う。


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# by broncobilly | 2017-10-27 16:51 | 映画評