おにがしま


映画批評家      鬼塚大輔      による映画評その他なんだかんだブログであります。
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がっかり

 「HACHI/約束の犬」、静岡市内では吹替版のみの上映。DVDを待つか・・・・。プロの声優が主要な役を担当しているなら、劇場に行ったかもしれないが。
 北大路欣也はギアが演じる主人公じゃなくて、犬の声をアテるべきだろう。

# by broncobilly | 2009-08-03 06:05 | 映画メモ

「サマーウォーズ」(09)

 「時をかける少女」に続いて、大いに楽しませてくれる細田守監督作品であった。長野県山間部の自然や旧家をじっくりと描き込むタッチは今回も大きな見物。今回は製作にマッドハウスが加わっているせいか、仮想空間OZ内の描写は「パプリカ」ほかの作品に近い。そして「マトリックス」本家はもちろん、「マトリックス」以降の仮想空間描写では群を抜いて優れている。
 青春映画の要素とSFの要素が見事に融合しているのは「時をかける少女」と同じで、二時間近い上映時間を全く飽きさせない。「七人の侍」への言及もあるが、暴走する人工知能をゲームでおびき出そうとする辺り、全体的な元ネタはジョン・バダムの「ウォーゲーム」だろう。 
 数多く登場するキャラクターがきちんと描き分けられているのが、この作品の魅力であり、ある意味、弱点でもある。E.M.フォースター言うところの「ラウンド・キャラクター」、「フラット・キャラクター」の問題にまで遡ってしまうのだが、それぞれのキャラがきちんと描かれ"すぎて"いるために、中心にいるべきカップルにストーリーの焦点が絞られないのである。
 とは言え、その辺りも含めて大いなるサービス精神の結果であろうし、今夏封切りの作品(洋画も含めて)の中では、今のところこれが最も優れていると断言したい。


 閑話休題(これ以降はネタバレ含みます)

 ・ラストの遺影については、ここだけ笑った顔を使うという狙いはわかるのだが、その前の顔と同じの方が良かったのではないだろうか。「クレショフ効果」というやつがあるから、同じ顔でも観客には笑っている顔に見えるはずなのだ。そして、この時観客の心に浮かんでいる笑顔は、どんな天才アニメーターにも、どんな生身の名優にも作り出せない完璧な笑顔のはずなのだから。
 ・女性の側からの晴れがましいキスで終わるというのは「崖の上のポニョ」と同じ。「ポニョ」は別世界で家族の一員になろうとする女の子の話で、「サマー」は男の子の話だ。そして「サマー」では一族を束ねる九十歳の老婆、「ポニョ」ではグランマンマーレと、絶対的な母性が登場して全てを束ねている(宮崎駿の場合はもちろん「ポニョ」以前の作品でもそうだったわけだが)。そして両作品ともこの巨大な母性による支配を完全に受動的に受け入れている。「エヴァ/破」は母性/レイとシンジが一体化するところで一旦幕を閉じたが、シンジは母性と決別して今度こそアスカ(あるいはマリ)との間に成熟した関係性を、作り上げねばならいはずだ。
 少々脱線したが、日本の優れたアニメ作家が発表した(している)優れた作品の共通項は、とても興味深いものだと思う。 

 

# by broncobilly | 2009-07-31 09:10 | 映画評

「REC: レック/ザ・クアランティン」QUarantine (08, 未)

 「REC: レック/ザ・クアランティン」(08)は、とびきり怖かったスペイン製ホラーのリメイク。女性レポーターとカメラマンが消防署にテレビ番組の取材に行く。とあるアパートへの出動に同行すると、そこでは狂犬病に似た感染症に罹った人々が増殖。外部から遮断されたアパート内の修羅場を、あくまでも取材のカメラが捉えた現実の映像として描いている。複数の記録映像を編集したという設定の「ブレアウィッチ・プロジェクト」、「クローバーフィールド」よりも徹底している。
 外国映画をハリウッドでリメイクすると、あれやこれやとアメリカ風に手を加えルのが常だが、この作品のストーリーはオリジナルとまーーーったく同じである。演出もきわめて似通っている。なのに、感触はオリジナルと微妙に違っている。
 理由その一、(そこそこ)名の知れた俳優たちが出演している。オリジナルはまったく知らない俳優たちが出演していた。スペインでも無名の人たちらしい。だからこそ、リアリティーが強まっていたのだが、アメリカ版でリポーターを演じているのはジェニファー・カーペンター(「エミリー・ローズ」で悪魔憑きを特殊メイク無しで演じてのけた人なので、怖がる顔には大変な迫力がある)。カメラマンがTV「ザ・プラクティス」のスティーヴ・ハリス、「アリー・マクビール」でお馴染みのグレッグ・ジャーマンなんかも出ている。
 理由その二、オリジナルではカメラマン魂を発揮して意識的に撮ったという設定の映像と、そのつもりはなかったのだけれど偶然カメラが捉えてしまった恐ろしいもの、との組み合わせが絶妙だった。アメリカ版はこの辺がやっぱり親切で、"偶然写ってしまったもの"も、かなりしっかりと的確に画面に登場する。
 アメリカ版は名の知れた俳優たちを使い、オリジナルの、演出が一切無いという演出、をある程度放棄しているのである。
 前述したようにないようは全く同じなので、オリジナルを観たことのある人には、上記のように違いを楽しむしかないと思うが(ぼくには興味深かった)、スペイン版を未鑑賞の人なら、かなり恐がれるはずだ。

# by broncobilly | 2009-07-26 06:35 | 映画メモ

「モンスター VS エイリアン」Monsters VS. Aliens (09)

 なんだか評判のいい「モンスターVS. エイリアン」に出かけてみた。地球の精鋭(?)モンスターたちが宇宙からの侵略者と戦うというコメディ。東宝の「怪獣総進撃」みたいなもんですかね。東京を破壊したムシザウルスのも出てくるし。日本で暴れていただけあって、ゴジラかなと思ったけど、"ムシ"だけあって、モスラでした。モスラらしい顛末となるのは楽しいです。ムシザウルスという命名は日本版だけだろうけど、チームをまとめる将軍(人間)の名がW.R.モンガーなのには笑った。"warmonger"って「主戦主義者」って意味ですね。
 ジャック・バウアー・ネタが登場するけど、これはモンガーの声をオリジナル版でアテているのがキーファー・サザーランドがから可笑しいわけだが、ぼくは吹き替え版で観た。静岡県内では吹き替え版しか上映していないのだ。大統領の声は政治ネタが得意のコメディアン、スティーヴン・コルバートの声で聞きたかったし、Dr.ローチPh.D.のキャラは、ドクターつながりでHouse M.D.のヒュー・ローリーの声だと、もっと面白かったろう。
 だが、これら脇のキャラたちはプロの声優さんたちがしっかりと仕事をしているのでよしとしよう。ボブ(スポンジではなくジェリー)の声担当のバナナマン日村も、きちんとした仕事をしている。もっともがっかりさせられてのは、ヒロインの声をアテたベッキー。棒読み調にはすぐに慣れたけど、喜劇のセリフに必要な"間"が全くダメである。絶妙の間で出れば笑えただろうなあ、と思うセリフが、平板に口にされるので面白みが無くなってしまっているところが多々ある。これはもリース・ウィザスプーンで聞きたかった。
 作品の中身にも実は少々がっかりした。大人向けのパロディや細かいSFネタは愉快なのだが、メイン・ターゲットが子ども向けだということは当然だとしても、話の展開が単純すぎる。タイトル通りモンスターたちとエイリアンたちのダイナミックな戦いを楽しみたかったのだが、これは中盤の金門橋戦だけで、クライマックスはインベーダーのスペースシップの中で展開されるというのは、ちょっとなあ。その戦闘にもダイナミズムが足りないような気がする。3-Dの面白さはあるのだが、立体効果を意識しすぎて"動き"そのもののダイナミズムを実写以上に追求できるアニメの特性を、充分に生かすことを忘れてしまったのでないだろうか。
 ヒロインのドラマも薄い。モンスターとなったことで精神的に一回りも二回りも成長する(体はそれどころではない成長を遂げるわけだが)ことに、説得力がない。モンスター化する前はわがままだったり、おろかだったりする描写があれば、いや、人間的に薄っぺらい婚約者に夢中だという描写はあるのだが、基本的には変身前も変身後も可愛くて性格のいい女性で、あまり変わっていないのである。変身前、そしてモンスターたちと知り合った当初に、このヒロインのマイナスの性格がしっかり描けていないとまずいのだ。ファミリー向けで上映時間が短くても、ディズニーとかピクサーなら、この辺りはぬかりなくやるぞ。
 まあ、3-D効果と小ネタの連続が楽しかったので、3-D特別料金を払って見物したことを後悔はしていないが、もっと楽しませて欲しかったとは思うのであります。

# by broncobilly | 2009-07-19 06:31 | 映画評

サイモン&ガーファンクル@Tokyo Dome 7.11.

 チケットが送られてきたときから、おお! と思っていたのだが、東京ドームのアリーナをずんずんと前へ進んでいって前から二列目、ほぼ正面。サウンド・メイト様、今回もありがとうございます。
 16年前のデュオとしての来日のときは、チケットを購入していたのに仕事のために泣く泣くあきらめたので感慨深い。ポール・サイモンのソロはやはりドームで見たし、アート・ガーファンクルのソロ・ライブには何度も足を運んでいる。最初にアートを観たのは88年、ドームで行われた、インペリテリ、ザ・フーターズ、ボズ・スキャッグス、ビリー・ジョエルらとのフェスだった。いつものように真摯なボズ、ずいぶん飲んでいたらしく、なんだか大ざっぱだったビリー(MCのマイケル富岡が、「あの人は酒が好きです」と呆れたように言っていた)も面白かったが、大好きになったのはザ・フーターズ。そして一時間程度の短いライブだったがアートが良かった。日本で行われる初めてのソロということでS&Gの曲をやるか話題となっていた。ドームの空間に一曲目、「サウンド・オブ・サイレンス」のイントロが流れ出したときのどよめきは今でもはっきりと覚えている。
 昨日のライブで初めて二人一緒に見た、聞いたのだが、やはり二人でなんぼの人たちだなあ、と思った。ナルシスティックで、高音を出しまくるアートをがっちりと支えるポール。ソロ・パートになるとポールの歌のうまさが際だつ。バンドとの絡みも最高だ。音楽の神が宿っているのは、アートではなくてポールなのだと改めて思う。だが、ポールに宿った神は、完璧なしらべを奏でるために天使を必要としているのだ。それがアートだ。
 二人のパフォーマンスも良かったが、とにかくバンドが見事だった。いきなり二曲目できた「冬の散歩道」はリズムの切れ味が良く、ギター、ベースの音も太く、実に見事なロックン・ロールになっていた。
 「ミセス・ロビンソン」の前には「卒業」の場面がいくつかモニターに映し出されたが、「ミセス・ロビンソン、ぼくを誘惑しているのですか?」からイントロに繋がるのは当然として、その前に「プラスティックだよ!」の場面が使われているのは面白かった。これも名場面/名セリフだもんね。
 「アイ・アム・ア・ロック」の「友情なんていらない。友情は苦痛をもたらすだけ」のところで、ポールがアートの方をちらりと見たのはもちろん演出だろうが、イロイロあった二人のことなのでどきりとする。でも、だからこそ、"旧友"らしく笑い合いながら互いを立てながら歌う二人の姿がさらに感動的なだったのだ。
 帰りの新幹線では素晴らしいライブの余韻を消したくなかったので、i-Podで音楽ではなく、枝雀さんの「地獄八景亡者の戯」を聞いていたのだが「ハゲは禁句である〜!」というセリフでなぜかまたS&Gを思い出した。

# by broncobilly | 2009-07-12 07:41 | 雑記