おにがしま


映画批評家      鬼塚大輔      による映画評その他なんだかんだブログであります。
by broncobilly
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28
最新号
キネマ旬報 2018年3月上旬号 No.1772



キネマ旬報社 (2018-02-20)




外部リンク
最新の記事
以前の記事
検索
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧

「レディ・ガイ」(The Assignment, 16)

 凄腕の殺し屋フランク・キッチン(ミシェル・ロドリゲス)がギャングに拉致される。指示を出したのは天才外科医レイチェル(シガーニー・ウィーヴァー)。フランクに弟を殺されたレイチェルは、フランクに性転換手術を施すことで復讐を遂げようとしていたのだ。女性の体で生きることを余儀なくされたフランクは、自分のに身に何が起こったのか、なぜこうなったのか、誰が黒幕なのかを突き止めて報復しようとする。 

 えー、書いていてなんだか悲しくなってきたが、本当にこんなストーリーなんです。しかも、監督・脚本が、あのウォルター・ヒルなので、悲しみはいっそう募っていく。なぜ、こんなことになった? もちろん、どれほど無茶な設定であっても、観ているうちに「なるほど、こうすればアクション映画が斬新なものになるのか!」とか「この手があったか!」と膝を叩かせてくれれば全く問題は無い。 

 ところがこの「レディ・ガイ」なる作品、語り口も、時間軸の見せ方もとっ散らかっている上に、ただ喋っているキャラクターたちが5+あまり意味の無いミシェル・ロドリゲスのヌードが2+大口径の銃をぶっ放すロドリゲスが3という感じで、傑作「48時間」はもちろん、近作「バレット」ほどのキレもなければ、ヒル作品の魅力であるタイトな語り口もない。 いったい、自分は何を観ているのだろう?と、鑑賞中何度も不思議な感覚に襲われた。映画史上ナンバー・ワン興収作品「アバター」で共演したロドリゲスとウィーヴァーも、いつかこんなけったいな映画で再共演することになるだろうなどとは夢にも思っていなかっただろうし、アンソニー・ラパグリアやトニー・シャローブなんていう実力派の俳優たちも、どうしてこんな作品に出演を決めてしまったのか、撮影中に正気に戻って深く反省した瞬間があると思う。そう思いたい。 ところが、観ているうちに、なんだか面白くなってきた。 

 この出来損ないの映画が、ヒルのストレートな心境告白、というか、時代/時勢へのプロテストに思えてきたのだ。 

 七十年代のいわゆる「女性映画ブーム」以来、やむを得ず女性の立場に身を置くことになった男性が、そのことによって女性がどれだけ差別に苦しんできたか、ほかならぬ自身自身がいかに女性の権利に対して鈍感であったかを思い知らされて変わっていく、というのはアメリカ映画の一つの典型になった(例「クレイマー、クレイマー」、「ミスター・マム」、「トッツィー」ほか多数)。 

 マッチョな殺し屋が性転換手術を受けて…というのは、このパターンの究極の形である。ところが「レディ・ガイ」のヒーロー(ヒロイン)は、そこが全く変わらない。肉体が女性になっても思考は男性のまま、筋肉信仰、銃器崇拝に変化なし。結局何にも変わんないじゃん!と、マッド・ドクターは嘆くのみ。 このドクターを演じているのが、「エイリアン」(77)のヒロインを演じてフェミニズム・ヒロインの象徴となったウィーヴァーであるのも面白い。 

 男性権力の象徴であるエイリアンと戦ったウィーヴァー/リプリーは、バックラッシュの嵐が吹き荒れたレーガン時代に作られた「エイリアン2」では、肥大化しすぎた女性解放運動の象徴であるエイリアン・クイーンと戦う「母」のアイコンに変化するという逆転を遂げたものの、現在も映画史に刻まれているのは「フェミニズム・アイコン」としてのリプリーである。 そして「エイリアン」のプロデューサーは、ほかならぬウォルター・ヒルなのだ。 

 「エイリアン」という作品はアメリカでのフェミニズムの台頭を映し出す作品であり、フェミニズムの台頭を後押しした作品でもある。そして、そのことによって「エイリアン」はフェミニズムなどに1ミリも共感していない(そのことは、これまでの作品歴を見れば明らか)ヒルの理想とするマッチョな男性像を、今や破壊し尽くそうとしている(と、ヒルは考えているようだ)。

 ウォルター・ヒルは「レディ・ガイ」という作品で、どんな変化を被ろうと絶対にマッチョであることを止めない主人公に、(ヒル自身が生み出した)「怪物」=ウィーヴァーを‘去勢’させているのだ(わかりやす過ぎる‘去勢’のシンボルも登場しますよ)。 

 「変化は避けられない」という主人公の独白がラストにあるので、ああ、それでも変わらねばとは感じているのかなあ、と思っていると、ラストに「四五口径だけは嘘をつかない」という、まんま男根崇拝の変なポエム(?)が唐突に出てくるので、やっぱXXXかよ!ということになる。 

 「女に改造されても、弾丸(タマ)はある」という日本版のコピー、最初に目にしたときは、いかがなものか、と思ったが、今では作品の本質を突いた秀逸なものだと考え直したよ。

 「レディ・ガイ」という作品を観て、ヒルの怒り、焦り、決意に共感も感動もしないけれど、ぶれないなあ、と感心し、少なくとも潔いとは思わずにいられないのである。


e0160746_15280588.jpg

 最新号。連載に加えて「15時17分、パリ行き」特集にも書かせてもらいました。

e0160746_15261046.jpg



# by broncobilly | 2018-02-20 15:29 | 映画評

「グレイテスト・ショーマン」(The Greatest Showman, 17)

 実在の興行師P.T.バーナムの成功、挫折、再起の物語を描いたミュージカル。いや、もうミュージカル。徹頭徹尾ミュージカル。堪能いたしました。

 最初に、昔見ていたFOXのロゴが出てきた時点で、もうすでにギブアップでした。

 なにが良いかっていうと、とにかくストーリーが「ショービジネスを描いたミュージカル」の王道になっていて、実にシンプルなこと。キャラクターの描き方も同様。

 ミュージカルはこれでいいんです。いや、こうじゃなきゃ、いかんのです。

 予想外の方向に転がっていプロットとか、複雑な主人公の内面などに煩わされる(?)必要などと無く、観客は'お約束'の世界にゆったりと身を浸しながら、ソング&ダンスを存分に楽しむことができるのだ。

 アステア、ケリーに匹敵するなんて思わないし、そんなこと最初からそんなこと望んでもいないけれど、バーナム役のヒュー・ジャックマンも、相棒となるザック・エフロンも、これだけ動ければ文句はない。

 ぼくは「ラ・ラ・ランド」を絶賛する気にはなれなかったのだけれど、今となってみると、あの作品に対するこちら側の姿勢が間違っていたのだと思う。「本格ミュージカル復活!」という評判に幻惑されて、昔ながらのハリウッド・ミュージカルを期待してしまったのだ。

 あの作品は、例えばフランスの「シェルブールの雨傘」や「ロシュフォールの恋人たち」のように、昔日のハリウッドとは全く違った感性で綴った、ハリウッド・ミュージカルへのラブレターだったのだなあ、と今は思える。
 もう一度観てみよう。

 「レ・ミゼラブル」のジャックマンにはまったく感心しなかったが、「グレーテスト・ショーマン」の彼は良い。と言うか、ぼくは「レ・ミゼラブル」が嫌いだ。華やかなところがちっともないじゃん。

 実際のバーナムが相当美化されて描かれているのは間違いないが、いいんだよ。芸道もの、ってのはそういうもんだ。これを美化しすぎなんて言ったら、今NHKで毎朝やってるドラマなんて(以下自主規制)。

 それでも、異形の者とされる人々の哀しみと怒りの描写には一本筋が通っている。脚本にビル・コンドンが関わっているからだろう。この人はそういう意味では、絶対にぶれない。

 傑作かと言われれば、決してそんなことはない。
 でも、「ミュージカル映画」を名乗るのであれば、これくらいのことはやって欲しい!という水準には充分に達している。

 こういうの、年に数本は欲しいです。


e0160746_17304344.jpg





# by broncobilly | 2018-02-16 17:31 | 映画評

「スリープレス・ナイト」(Sleepless, 16)

 日本でもどうタイトルで公開されたフランス映画のリメイク。オリジナルを観てない(すいません)ので比較はできないのだが、少なくともアメリカ版はあまり感心できる出来ではない。主演のフォックスも猫の作品の宣伝ツアー中に次に出演した「ベイビー・ドライバー」のことばかり喋って問題になったという。そら、なるわな。 

 ベガス署の刑事ダウンズ(フォックス)は相棒と共にギャングのコカインを強奪するが、そのコカインはカジノのオーナー、ルビーノ(ダーモット・マローニー)と凶暴なギャング、ノヴァク(スクート・マクニーリー)の間で取引されるはずのものだった。 

 ルビーノはダウンズの息子を誘拐。ダウンズはコカインを持ってルビーノのカジノに乗り込み、ルビーノ、ノヴァクと駆け引き、戦いを繰り広げるのだが、そこにダウンズに疑惑を抱く内部調査課の二人の刑事ブライアント(ミシェル・モナハン)とデニソン(デヴィッド・ハーバー)絡んでくることに。 

 早い段階で舞台がカジノ/ホテルに限定され、一定の空間内でドラマ/アクションを展開していくことが、この作品の売りであるはずなのだが、バラン・ボー・オダー監督の演出にメリハリがないので、それほど盛り上がらない。 

 様々な場所で繰り返される格闘場面も、背景こそ違っても、代わり映えがしないので、しばらく観ているうちに飽きてくる。 フォックスとハーバーがスパの中で格闘を繰り広げる場面もあるのだが、格闘終了後、二人とも何事もなかったように(水浸しになっているはずの)スマホを使うので、こんなことってあるのかなあ?と思って調べたら、さすがに海外のサイトでも突っ込まれておりました。 

 主人公の意外な正体(しかし、日本版ポスターは最初からネタバレしている)とか、実はXXXが悪いやつで…、というのも型どおりで、ちっともサプライズになっていないし、ラストのオチも効いていない。 それでもモナハンの女性刑事が凛々しくてカッコイイので、途中からは彼女ばかり観ていた。 というわけで、眠らずには済みました。  

e0160746_13402308.jpeg


# by broncobilly | 2018-02-11 13:40 | 映画評

「RAW〜少女のめざめ〜」(Raw aka. Grave, 16)

 大傑作!との評判をネットでたびたび目にしていて、ずっと気になっていた作品。DVDを取り寄せようかなと思っていたら日本でも劇場公開され、いそいそと見物に出かけた。大傑作だとは思わなかったが、確かに不思議な魅力を耐えた作品であった。

 ベジタリアンとして育ったジュスティーヌは、姉アレックスがすでに在籍している寄宿制の獣医科大学に入学する。ルームメイトとなったのはゲイの男子学生アドリアン。先輩学生たちからのしごきの一部として強制的にウサギの腎臓を食べさせられたジュスティーヌの中でなにかがめざめ、肉体的にも精神的にも変調を来し、食欲、特に肉に対する嗜好が爆発。そして肉への欲望はやがて…。

 当然、自らの精神と肉体の変化に戸惑う少女、そして'肉'への渇望というのは性的欲望のメタファーであるわけだが、そのあたりを監督/脚本のジュリア・デュクルノーはひんやりとした演出タッチ、構図、色使いで、淡々と、そして鮮烈に綴っていく。

 ショッキングな場面は多いのだが、それらをこれ見よがしに観客に突きつけるのではなく、ある程度の抑制を効かせていることが逆に衝撃を強めている。

 役を演じるために実際に体型を変えていったというギャランス・マリリエ(ジュスティーヌ)の熱演も見所だが、アレックス役のエラ・ルンプフの個性も面白い。奔放なアレックスの存在が、物語が進むにつれてだんだんと大きくなっていくのが作劇上、効いている。


 ただ、作劇ということで言えば、ラストのサプライズと、ショックを狙ったワン・ショットは蛇足のような気がする。あくまでも静かに幕を閉じた方が、余韻の残る作品になったはずだと思う。ただし、このラストによって、それまで作中描かれてきた様々な要素の辻褄が合うことも事実なのだが。

 いずれにせよ、異色で印象的な作品であることは間違いない。

 デュクルノーの次回作にも期待。


 
e0160746_08471349.jpg


# by broncobilly | 2018-02-08 08:47 | 映画評

「クローバーフィールド・パラドックス」(The Cloverfield Paradox, 18)

 「クローバーフィールド」、「10 クローバーフィールド・レーン」の二作がとても面白く、'クローバーフィールド・ワールド'のさらなる展開に興味津々だったので、シリーズ(?)の三作目を、とても楽しみにしていた。ところが、何度も公開日が変更/延期となり、タイトルも「神の粒子」となり、「クローバーフィールド」とは関係ない作品になった、という噂がネットを駆け巡り、そのうちまったく音沙汰が無くなってしまった。 

 ところがカフェで原稿など書いていると、突然NETFLIXで「クローバーフィールド・パラドックス」配信開始!という通知が入り、ええー! 配信!? どういうこと!? すぐ観られるの? 今、ここで観ちゃおうかな? いや、急いで帰って、せめてFIRESTICKで観よう、とそそくさと帰宅しましたとさ(原稿は?)。 

 で、この作品について書くと、どうしてもある程度のネタバレは避けられないので、お嫌な方はこの先はお読みにならないようにしてくださいね。もちろん、途中までのネタバレしかしないつもりですが。 

 地球上のエネルギー資源が5年以内に枯渇することが確実となった近未来。無尽蔵でクリーンなエネルギーを生み出すべく、国際共同宇宙ステーション'クローバーフィールド'において実験が繰り返されていた。だが、実験の結果、多元泡宇宙の膜が破壊され、時空が取り返しの付かない混乱を来す可能性'クローバーフィールド・パラドックス'の危険性を指摘する科学者も。実験は成功するものの'クローバーフィールド'は地球と一切のコンタクトを立たれることとなり、ステーション内では不可思議な現象が続けて起こる。 

 ということで、多元宇宙テーマのSFホラーとなっております。「クローバーフィールド」のあの怪獣とか、「10」の'あれ'とかは、壁が破れたことで異世界のモンスターが襲来したということか。スティーヴン・キングの中編「霧」(映画「ザ・ミスト」)みたいだな。 

 ステーションに乗り込んでいるのはダニエル・ブリュール、チャン・ツィイー、デヴッィド・オイエロウォ、エリザベス・デビッキなどといった多彩な面々。 ぼくとしては「ハイっ、こちらIT課」のクリス・オダウドがでステーションに乗り組んでいたのが嬉しかった。相棒のリチャード・アイオアディは「パディントン2」にカメオ出演していたが、「パラドックス」のオダウドは出番が多いだけでなく、SFホラーの設定の中でも、持ち前のとぼけた味を発揮して笑わせてくれる。 どこかで観たような場面の連続、といってしまえばそれまでだが、多元宇宙ものは、ぼくの大好物なので、たっぷり楽しませてもらいました。 

 ただし、'クローバーフィールド・ワールド'であることを強調するために追加撮影されたという地球上の場面がおりおりインサートされるのは(ラストの'あれ'のために必要だったらせよ)、緊張感とと統一感を断ち切ることになってしまっていると思う。 

 ステーションの中で'二つの世界'が融合し、反発していくことで恐怖場面が展開していくのだが、単なる融合/反発ではなく、なンら課の悪意を持って乗組員を攻撃する存在も示唆される。だが、この存在の正体は最後まで明かされないままである。 

 シリーズ第四作「オーヴァーロード」は完成済みで、しかもD-デイが背景(?!)ということで、今回残された謎の解明、あるいはさらなる迷宮への入り口として期待したい。 

 でも、なるべくなら劇場のスクリーンで観たいなあ。

e0160746_09233351.jpeg


# by broncobilly | 2018-02-06 09:24 | 映画評