おにがしま


映画批評家      鬼塚大輔      による映画評その他なんだかんだブログであります。
by broncobilly
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「ジュラシック・ワールド 炎の王国」(19)

 「ジュラシック・ワールド」だったイスラ・ヌブラルで火山活動が活発化。島に残された恐竜たちが全滅する前に少しでも救おうと、前作のヒーロー+ヒロイン、クリス・プラットとブライス・ダラス・ハワードが仲間たちとともに向かう。

 「ハン・ソロ」にワクワクできなかったので、楽しめるかどうか心配だったのだが、いやあ、主人公たちが島に上陸して、恐竜さんたちが続々と登場してくると、やっぱりテンションが上がります。今回は噴火のスペクタクルもたっぷりで、「火山映画」+「恐竜映画」の楽しさがあり実に楽しい。楽しいなあ、なんで「ハン・ソロ」はダメだったのに、こっちは楽しいのかなあ、と思ったのだが、結局グッとくるような「画」があるかどうかの違いなのだと気付いた。ロン・ハワードは優れた監督だが、「話」を語る人で「画」を見せる人ではないのだと思う。スピルバーグの「E.T.」やルーカスの「スター・ウォーズ」は「話」だけでなく、いやもしかすると「話」以上に「画」が魅力だった。ハワードの「コクーン」は「話」の映画だったのだ。

 「画」を見せるという意味でもJA・バヨナ監督の起用は大成功で、うわあ、いいなあ!と思える「画」が続けざまに登場する。

 誤解のないようにもう一度書くけど、ハワードは素晴らしい監督である。でもやっぱり、SWには向いていなかったのだと思う。

 ブライス・ダラス・ハワードとジェラルディン・チヤップリン、ジェームズ・クロムウェルが顔を揃える場面では、ロン・ハワードの娘とチャーリー・チャップリンの娘とジョン・クロムウェルの息子が並んでるよ!と、ミョーなところにコーフンしてしまったのだが、主人公たちの島での冒険が始まってからも、アメリカにあるクロムウェルの豪邸の場面が度々インサートされ、てっきり(こっそりと)島について行って、お約束の「足手まといになる子供」の役割を演じるのだろうと思っていた少女が屋敷内をチョロチョロしている。なんだか変だぞと思って見ていると、なんと火山噴火のクライマックスは物語の中盤で終わってしまい、後半はクロムウェルの屋敷が舞台となるのである。予告編に出てくる映像も、すべて前半から。

 予告編詐欺じゃん!「炎の王国」ってタイトル詐欺じゃん!と思ったが、原題は「崩壊した王国」で、後半の展開に合っており、終盤のメッセージ(そして考えうるシリーズの今後の展開)にも含みを持たせているので文句は言えない。

 屋敷に運び込まれた恐竜たちから、迷路のような大邸宅内を駆けずり回って逃げる登場人物たち。こっちの方がよっぽど、「メイズ・ランナー」だよ。

 「アメリカン・ホラー・ストーリー」第二シーズンで、あの病院の院長だったクロムウェルとか、「羊たちの沈黙」のバッファロー・ビル、テッド・レヴィンとか、濃い人たちが揃っているところに(ハエ男も出てるもんな)、トビー・ジョーンズまで登場するので、ほとんどホラーの世界。大自然の中の恐竜たちは「怪獣」だが、ゴシック・ホラーに出てきそうな屋敷に跳梁跋扈する起用龍たちは異世界からやってきたガーゴイルかケルベロスみたいで「魔物」っぽい。この後半も新鮮で楽しめたのは何より。

 「永遠のこどもたち」を撮った人だから当然だが、バヨナ監督は後半でも、前半とは違った意味での、素晴らしい「画」をたくさん見せてくれる。

 「一粒で二度美味しい」(古くてすいません)とばかりに楽しんだのだが、唯一残念なのはクリス・プラットの主人公が、ただ状況に反応して走ったり、殴ったり、撃ったりしているだけで、前作と比べても描き方が平板になってしまっていること。特に彼のオールアメリカンなキャラはねゴシックホラー風の後半に合っていないような。M・ナイト・シャマランとかラース・フォン・トリアーの映画に出ているブライス・ダラス・ハワードはもちろん、びくともしない。

 「最後のジェダイ」がそうだったように「炎の王国」も、シリーズ(フランチャイズ)の方向性を大きく変えるものになっている。

 そして「炎の王国」はシリーズの新たな展開に期待を持たせてくれる秀作である。



# by broncobilly | 2018-07-14 09:44 | 映画評

「TAU/タウ」(TAU,18,Netflixオリジナル)

とまあ、「ハン・ソロ」でモヤモヤした気持ちをどう処理しよう、と悩んで、一か八かで視聴して観たのがNetflixの「TAU/タウ」。Netflixのオリジナル映画は玉石混合というか、石玉石石混合という感じで、ジョン・ハムとロザムンド・バイク共演、トニー・ギルロイ脚本という魅力的な布陣の「ベイルート」を最近観たけれど、もう一つだった。

 でもね、「TAU」は良かったです。「ハン・ソロ」とは全然ベクトルが違うけど、SFを堪能しました。

 男を騙して金を奪い生計を立てている若い女性マイカ・モンローが、IT企業の人工知能開発者エド・スクラインに拉致される。スクラインは人間の脳の働きをA.I.に移植する研究をしているのである。データ収集機器を埋め込まれ、アレックス邸に監禁されるモンロー。アレックスの生活の世話から、屋敷の警備まで、すべてを管理しているのがA.I.TAU(: ゲイリー・オールドマン)

 こりゃあ、SF版「コレクター」(65)かなあ、と思って観ていると、確かにそんな「監禁もの」の要素もあるのだが、モンローがストリートで生き抜いてきたしぶとさで生き抜いていこうとするのが、まずは面白い。

 モンロー対スクレインという図式なのだが、特別出演程度かな?と思っていたTAU/オールドマンの存在感が、どんどん大きくなっていくと物語も魅力的になっていく。TAUを利用しようとするヒロインが、TAUとしたたかに交渉し、取引し、そしていつか心(?)を通わせていく様子が丁寧にすくい取られている。

 (声だけとは言え)オールドマンの演技力もあって、ヒロインのみならず観客もTAUに感情移入していくこととなり、スクレインがTAUを虐待するとこなんか、もう可哀想でね。

 監督のフェデリコ・アレッサンドロは、これまで主に美術部門で活躍してきた人だけあって、まあ、あまり予算の潤沢ではない作品だということは画面から伝わってくるものの、TAUのビジュアルや、スクレイン邸の内装など、なかなか見応えのある美術を見せてくれる。クライマックスの反撃/脱出劇の盛り上げ方も悪くない。

 大傑作というわけでは決してないものの、ちょっとした拾い物という感じ。こんなのが月一くらいで落ちてくるならNetflixは続けるしかないな。



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# by broncobilly | 2018-07-02 17:33 | 映画評

「ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー」(Solo: A Star Wars Story, 18)

 若き日のハン・ソロ(オールデン・エアエンライク)の冒険を描く「スター・ウォーズ」外伝。

 まずは開巻早々のスピーダー・チェイスが、びっくりするほどワクワクしない。そのあと、大きな見せ場となるはずの列車アクションも、がっちりまとまってはいるが、それだけという感じ。自分的に、この手のC.G.I.スペクタクルにいよいよ飽きて来たのかも知れない。

 などと文句を言いつつも、後半になって人間ドラマの部分がしっかり描かれるようになると、物語に引き込まれ、それまで魅力の薄かったウディ・ハレルソンも「ヴェラクルス」のバート・ランカスターか「怒りの河」のアーサー・ケネディかという感じになって、大いによろしい。

 ピンチヒッターだったロン・ハワードが流石の手腕で、と言いたいところだが、観終わってみると、色々とモヤモヤが残る。

 ディズニー傘下で再スタートとなったS.W.サーガだがJ.J.エイブラムス、ギャレス・エドワーズ、ライアン・ジョンソンら、「S.W.チルドレン」の作品には、S.W.を撮っているんだ!という喜びと畏れとが充満していて、それが観客にも(そして、ぼくにも)伝染していたと思う。

 一方、ルーカスとほぼ同じ世代のロン・ハワード(「エピソード4」が公開された77年に「バニシングIN TURBO」で監督デビュー)には、少年の頃にS.W.の衝撃が刷り込まれた、という絶対的な経験はないはずで、だからだと思うがハンとチューイが初めて出会う場面、ミレニアム・ファルコンが初めて画面に映る場面など、一応盛り上げようとはしているのだが、「ほらほら! すごいだろう!」という喜びが感じられないのである。

 ぼくは極端にいい加減でズボラな性格でありながら、妙に細かいことにこだわるという最悪の性格で、ラスト近くに「あのお方」が登場したことに狂喜しながらも、一瞬後には「ん、待てよ?」と冷めてしまった。この作品でのソロが二十代だとすると、「エピソード4」までは、せいぜい10年程度のはず。その間に、あれやこれやあれやこれやあるのだから、少なくとも40年くらいは経っていないとおかしいのでは?

 アメリカ国内での興行的失敗(と言っても、現時点で興収二億ドルを超えているのだが…)によって、続編製作と予定されていた数々のスピンオフの雲行きも怪しくなってきた模様。

 でもね、個人的にはほっとした部分もある。これで良かったと。

 だってさあ、「エピソード4」のハン・ソロは、テキトーに、いい加減に生きてきたチンピラが、運命の力で大きな争いに巻き込まれるから良かったんじゃないか。だから、デス・スター攻略に駆けつける瞬間が、とてもつなく感動的だったんじゃないか。

 この人に、あんまり壮大なバックストーリーがあっちゃ、いかんだろう。ましてや、反乱軍結成の資金も、この人のおかげって、そりゃないよ。

 これ、ぼくが一度しか観ない、初めてのSWになるかもです。



# by broncobilly | 2018-07-02 16:53 | 映画評

落ち穂拾い

 ここのところ、ずっと更新をサボっていたけれど、映画を見ていなかったわけではない。まとめて短評を。

 「ワンダー 君は太陽」(17)。最初は、この邦題なんだかなあと思ったのだが、実際に鑑賞してみると、これは適切だなあ、と感心した。障害を持った主人公の少年(ジェイコブ・トレンブレイ)に集中するのではなく、太陽の周囲を回る惑星たちのような周囲の登場人物たち一人一人に焦点をあてる語り口が新鮮で面白い。障害を持つ弟ばかりに両親の愛情と関心が集中するのを寂しく思っている姉の思いが丁寧に汲み取られていたり、突然その姉に冷たくなる親友も、単なる意地悪キャラだと思って見ていると、行動の裏にあった意外な背景が明かされたりするのである。

 この作品を観ていて、もう一つ感じたのは「フィクション」の力である。いかにも「この映画は実話に基づいている」と最初にテロップがでそうな内容だが、これには原作の小説がある。実話に基づいた作品、というのも決して悪くはないのだが、「実際にあったことなんだから内容を信じろ! その証拠に本人の写真をエンドクレディットの前に見せてやる!」、「ほら、感動するだろ! 写真見たら泣くだろ!」みたいな(それでいて、ちょっと調べてみると、実際の出来事に手を加えまくっている)「実話映画」が多い中で、フィクションの形で、「こうであるべきだよね」、「こうでなくてはいけないよね」と訴えてくるストレートな内容なので、フィクションだからこそ上記のような語り口も可能になったのだと思う。

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 で、まさに「実話」映画化を売り物にする「オンリー・ザ・ブレイブ」(17)を、話の流れからして貶すのだろうと思われると、そうはならないのである。この作品も実に良かった。これからご覧なる方のために、結末についてはほとんど書けないのだが、これは実在の人物たちの写真を見せられても、「はいはい、わかりましたよ〜」みたいなひねくれた気持ちにはならず、素直に感動できた。

 俳優たちは皆、公演しているが主人公である森林消火隊長ジョシュ・ブローリンの妻を演じるジェニファー・コネリーが光っている。もちろん、とびきり美しいのだが、久々のこの人の演技力を堪能させてもらった。

 日本では山火事の恐ろしさというものは、(ありがたいことに)あまり実感できないが、アメリカの西部では一旦山火事が起こって広がると人的にも財政的にも、大変な損害となる。第二次大戦中には、こんなポスターが作られていたほど。山火事そのものが恐ろしい「敵」だったのである。

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 それでいて、山火事を描いた作品というものは案外少ない。日本では劇場公開された「大火災」(77)なんてのがあったが、全く記憶に残っていない。山火事の場合は建物火災と違って迫力のある映像が作りにくいのだと思う。「オンリー・ザ・ブレイブ」のジョセフ・コシンスキー監督は俯瞰ショットを多用することで、山火事のスケールと恐ろしさを巧みに表現している。このセンスがあれば「トップガン」続編にも、期待できそうな気がする。

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 「メイズ・ランナー: 最期の迷宮」(18)も観たけれど、これは全く面白くなかった。第1作目の売り物だったSF的「迷路」の設定が全く生きていないというか、最後まで見てしまうと、なぜ、一作目であんな手の込んだことをしなければならなかったのか、わからなくなる。腑に落ちるのではなくて、その逆。「ハンガーゲーム」シリーズにも同じことが言えるが、少なくとも「ハンガー」には、戦争、革命、国家に対する皮肉な視点と洞察があり、ヒロインの成長物語としても一本筋が通っていた。一作目の悪役キャラが(人気があったためか)味方として突然復活し、しかも主人公たちとの間に、それほどの葛藤がないなどね御都合主義も目立つ。未映像化の前日談が複数あるらしいが、もういいです。

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 同じディラン・オブライエン主演作なら、スパイ・アクションの「アメリカン・アサシン」(17)の方がまだ楽しめる。アクション場面の描写も鮮烈だし、殺された婚約者の復讐のためにスパイ/暗殺者となる主人公に殺人術を叩き込む師匠、マイケル・キートンの相変わらずテンションの高い演技も楽しめる。

 ただし「まだ楽しめる」程度の評価になのは、物語の構造がマザコン悪役登場の「スカイフォール」、ファザコン版(ということは「スペクター」?)で新味がないこと、冒頭で原作を大いに改変してまで婚約者の壮絶な死を見せておきながら、物語が本格的に動き出すと「復讐」という動機が関係なくなってしまい、物語の貫くモティーフになっていないこと、前半は諜報のダークサイドをリアルに見せる作品みたいなのだが、だんだんと普通のヒーローものになってしまうこと、クライマックスの(言わぬが花の)大スペクタクルのC.G.I.が案外チャチなことetc.色々文句をつけたくなるからである。

 ガッチリとした体格のマット・デイモンやダニエル・クレイグとは違い、ほっそりとしたオブライエンの動きにはしなやかさがあり、悪玉テイラー・キッチュの演技も面白い。おおに期待され「バトル・シップ」、「ジョン・カーター」二本の大作に抜擢された人だが、良作ともアレな出来となったため迷走が続いていた。「オンリー・ザ・ブレイブ」や、この作品を見ると主役をやるよりも、脇で光る人なのかも知れないと思う。


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# by broncobilly | 2018-06-30 10:26 | 映画メモ

「ゲティ家の身代金」(All the Money in the World, 17)

1973年に起きた、世界一の大富豪ジャン・ポール・ゲティ(訳あってクリストファー・プラマー)の孫ポール3(チャーリー・プラマー)誘拐事件の顛末を描く実話ネタ、というとリドリー・スコットのフィルモグラフィーからすると異色の作品のような気もするが、作品を見て大いに得心した。

ぼくは昔から機会あるごとに、リドリー・スコットが興味を持っているのは人間(じゃない場合もあるけど)が死と生の狭間のギリギリとところで声明を燃焼させつくす様をスクリーンに刻み付けることなのだ、と主張して来た。

 実際に起きた海難事故と、その後の裁判を描く「白い嵐」(96)も、なぜこれをスコットが?と思ったけれど、実際に観てみると、沈没していく船の中で命を燃やし、そして死んでいく若者たちと主人公の妻の姿を、じっくりと舌舐めずりするように撮っていて、肝心の裁判のシークエンスはおざなりだったし、どう考えても畑違いな「プロヴァンスの贈りもの」(06)は穴に落ちたラッセル・クロウがなんとか外に出ようと四苦八苦する場面だけが、妙に生き生きしていた。

「ゲティ家の身代金」は、ゲティが身代金支払いを拒否することでドラマが転がっていくわけだが、誘拐された青年、その母(ミシェル・ウィリアムス)、ストックホルム症候群というやつだろうか、少年との間に絆が生まれる一味の一人チンクアンタ(ロマン・デュリス)が事件の中で身を焦がし、ギリギリの状況の中で命を燃やしていく様を、スコットは実に嬉しそうに撮っている。その意味で、この作品は「エイリアン: コヴェナント」よりも、ずっとスコットらしい作品であると言える。

中でも見所はプラマー/ゲティの今際のシークエンス。短期間で撮り直したはずなのに、このクオリティはすごい。まさにスコットの真骨頂。もちろんプラマーの貫禄あってだが。もう一度撮らなくてはならなくなった事を、もしかするとスコットは喜んだんじゃないか、とさえ思える。

 貫禄のプラマー、やっぱり上手いウィリアムス。ゲティに雇われて誘拐犯たちとの対応に当たるマーク・ウォールバーグは、最近の作品では歯を食いしばって走り回るところしか見ていないので、腹芸らしきものを披露しようとしているのが新鮮である。もっとも、腹芸という点では短い出番のティモシー・ハットンが、やはり上だが。

「エイリアン」関係だと迷走してしまうようなので、そっちはもう止めて、まだまだ作品を撮ってほしいものです。

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# by broncobilly | 2018-06-06 09:02 | 映画評