おにがしま


映画批評家      鬼塚大輔      による映画評その他なんだかんだブログであります。
by broncobilly
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「セッション」(Whiplash, 14)

 名門音楽学校でドラマーを目指す青年アンドリュー(マイルズ・テラー)。フレッチャー教授(J・K・シモンズ)の目に止まり、彼のバンドに抜擢されるが、肉体的にも精神的にも学生を追い詰める指導のために、心身に異常をきたしていく。

 観る前は、一回のセッションをじっくりと描く作品だと勝手に思い込んでいたのだが、実際は時間の経過やキャラクターの変化もしっかりと描かれ、ストーリーにも起伏があった。

 意外な展開が楽しめるので、ストーリーのネタバレは、これ以上しないようにしたい。

 これだけは書いておきたいのだが、これは音楽映画として最高の終わり方をする作品である。

 以前、このブログにも何度か書いたことがあるはずだが、ぼくは、音楽映画は、音楽によって観客のエモーションが頂点にまで高まった瞬間にすぱっと終わるべきだと思っている。

 「セッション」はまさにそんな終わり方をする。アンドリューとフレッチャーが、このあとどうなったのか。和解したのか、対立は続いたのか。アンドリューはミュージシャンとして成功するのか。フレッチャーのキャリアはどうなるのか。アンドリューの元カノは結局見に来たのか、来なかったのか、新しいボーイフレンドと来たのか、一人で来て主人公とよりを戻すのか。

 普通の映画なら当然描かれるべき"その後"は、この作品では一切描かれない。すべてが、ラストの一瞬に集約され、そのまま終わる。大事なのは、クライマックスの演奏、そしてそれが終わる瞬間、それだけだから。素晴らしい。

 クライマックスの演奏場面の力は、もちろん音楽が生むものなのだが、しかしそれ以上に編集の力に酔わされる。編集の力によって、音楽と映像の境界が完全になくなる。渾然一体となる。

 これは一見全く別のように見えて、実はMGMのミュージカルの最良の何本かにのみ観られる"奇跡"が久々にスクリーンに刻まれた例ではないだろうか。

 各賞を総なめにしたシモンズの演技も、最初のうちは、下積みの長かかった役者が熱演して過剰な評価をされる例なのかな、などと最初は冷静に観ていたのだが、ラストの演奏場面で不明を恥じることとなった。

 驚き、怒り、悪意、焦り、諸々の感情がすべて消え去り、音楽の高みを極める瞬間に向けて、主人公と心を一つにしていく。見事な演技である。そして一生に一度巡ってくるかこないかの役である。

 満員の劇場の観客が一体となって惹きつけられ、息を呑んでスクリーンを見つめる。そしてラストの感動と衝撃を共有する。
 久し振りにそんな経験をした。




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by broncobilly | 2015-06-01 16:56 | 映画評
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