おにがしま


映画批評家      鬼塚大輔      による映画評その他なんだかんだブログであります。
by broncobilly
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
最新号
https://www.amazon.co.jp/キネマ旬報-2018年11月上旬特別号-No-1793/dp/B07HSLVBTN/ref=sr_1_3/357-6990759-6652933?s=books&ie=UTF8&qid=1540598296&sr=1-3&refinements=p_lbr_one_browse-bin%3Aキネマ旬報
外部リンク
最新の記事
「ハイ・フライング・バード-..
at 2019-02-17 15:54
「ミスター・ガラス」(Gla..
at 2019-01-19 16:47
年末大掃除(2)
at 2018-12-30 10:11
以前の記事
検索
その他のジャンル
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧

「LION/ライオン 〜25年目のただいま〜」(16)

 インドで五歳の時に家族と生き別れとなり、オーストラリア人の養父母に育てられた少年が、その二十五年後にグーグル・アースを使って生まれた土地を突き止め、里帰りをはたすという実話ネタの作品。

 良い作品である。

 前半、幼い主人公が家と家族から、運命の悪戯によって引き離され、インドの大都会を放浪し、施設に入れられるなど苦難を重ねる前半は、少年時代の主人公を演じるサニー・パワールの達者さと愛らしさが光る。

 成人後の主人公は、デヴ・パテル。この人は逆に、ずいぶんと大人っぽくなったなあという感じ。20代後半なのだから、当たり前だが。「スラムドッグ$ミリオネア」や「マリゴールド・ホテル」正続編では、オリエンタリズムそのままに、西洋人から見たインド人のイメージを、そのまま演じさせられているようで、正直好きな俳優ではなかったのだが(テレビの「ニュースルーム」はよかった)、「LION」では、インド人、オーストラリア人、二つのアイデンティティと、養父母と実の家族への思いに苦悩し、引き裂かれそうになる役をしっかりと演じている。肌の色とかルーツとかを完全に超越して、一人の人間の魂が感じられる演技なのだ。

 そのパテルを、なんとなく受けているようなルーニー・マラが、やはり巧い。

 上手いといえば養母を演じるニコール・キッドマン。年齢と喧嘩せず演じているので、久々に自然な巧さが発揮されている。

 ガース・デイヴィス監督の手腕もしっかりしているし、インド、そしてタスマニアの対照的な光景を見事に切り取るグレイグ・フレイザーの撮影も素晴らしい。

 ついでに書くとシーアの歌う主題歌も実にいい。

 と書いてくると、手放しの絶賛のようだが、ぼくはこの作品を観て、最近よく考えていることについて、また考えさせられ、複雑な気分になってしまったのである。
 前にも、このブログに書いたのだが、実話ネタの作品で、ラストに"ご本人様"が登場するのはどうなのよ?という疑問である。

 映画である以上、例えドキュメンタリーであっても、そこには作り手の作為が入り込むことは避けられない。ましてや「実話に基づく」ドラマの場合は、現実の出来事と相当かけ離れてしまうことも珍しくない、というか、当然そうなる。

 だからダメだ、などと言う気はない。それが映画だ。

 映画作家は現実の出来事を'材料'に、映画という'料理'を作って、観客に出すのである。

 変な例えだけど、魚を一生懸命料理してブイヤベースを作り、その後に同じ魚を刺身で出して、「やっぱり新鮮な高級魚は生で食べるのが一番美味ですよ」と言われたらどうだろう。

 そりゃあ、刺身が一番美味いよ。で、「ああ、美味しい魚だったなあ」ってお客さんが喜んだら、それは手をかけて作ったシチューを、料理人自身が全否定することになりはしないのかな。

 特に"泣かせ"の映画では禁断ではないのか。

 主人公が実の母と対面する場面は、とても感動的だ。
 しかし、ラストに養母(ご本人)と実母(ご本人)がインドで対面した際の実際の様子がスクリーンに映し出されるのだ。

 そりゃ、泣くよ。感動的だもん。強力だもん。

 でもいいのか?

 さっきの例えが不出来だと自分でもわかっているので、別の例えを使うが、これって一生懸命に画家が子犬の画を描いて、でも最後にはキャンバスをひっくり返して、その前に本物の子犬を置いて、「やっぱ本物が一番だよねえ」というようなものではないのか?(ああ、この例えもダメダメだorz)

 イーストウッドは「ジャージー・ボーイズ」のラストで。健在のフランキー・ヴァリを出しての"ご本人様登場"をやらず、むしろ"作りものの"の彼方へと画面を飛翔させた。

 「ハドソン川の奇跡」では、そもそも感動の押し売りを避け、しかも"ご本人様登場"も同窓会的に、さらりとまとめて見せた。

 これなら、よい。洒落ている。

 でも「LION」はベタベタなんだよ。泣かせるための飛び道具として、実際の映像を延々と流すんだよ。

 これをやらずに、直前の二人の少年のショットで終わっていたら、ぼくはこの作品が大好きになっていたと思う。

 映画は作りものである。作りもので真実を伝えようとする努力が美しいのだ。

 '作りものの力'を映画の作り手には、もっと信じてほしいと思うのだ。





映画 LION ライオン 25年目のただいま ポスター 42x30cm Lion 2016 デブ パテル ルーニー マーラ ニコール キッドマン [並行輸入品]



「LION/ライオン~25年目のただいま~」オリジナル・サウンドトラック
ダスティン・オハロラン & ハウシュカ
SMJ (2017-04-05)
売り上げランキング: 19,103


by broncobilly | 2017-05-15 17:51 | 映画評
<< 「ガーディアンズ・オブ・ギャラ... 「ノー・エスケープ 自由への国... >>