おにがしま


映画批評家      鬼塚大輔      による映画評その他なんだかんだブログであります。
by broncobilly
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「レディ・ガイ」(The Assignment, 16)

 凄腕の殺し屋フランク・キッチン(ミシェル・ロドリゲス)がギャングに拉致される。指示を出したのは天才外科医レイチェル(シガーニー・ウィーヴァー)。フランクに弟を殺されたレイチェルは、フランクに性転換手術を施すことで復讐を遂げようとしていたのだ。女性の体で生きることを余儀なくされたフランクは、自分のに身に何が起こったのか、なぜこうなったのか、誰が黒幕なのかを突き止めて報復しようとする。 

 えー、書いていてなんだか悲しくなってきたが、本当にこんなストーリーなんです。しかも、監督・脚本が、あのウォルター・ヒルなので、悲しみはいっそう募っていく。なぜ、こんなことになった? もちろん、どれほど無茶な設定であっても、観ているうちに「なるほど、こうすればアクション映画が斬新なものになるのか!」とか「この手があったか!」と膝を叩かせてくれれば全く問題は無い。 

 ところがこの「レディ・ガイ」なる作品、語り口も、時間軸の見せ方もとっ散らかっている上に、ただ喋っているキャラクターたちが5+あまり意味の無いミシェル・ロドリゲスのヌードが2+大口径の銃をぶっ放すロドリゲスが3という感じで、傑作「48時間」はもちろん、近作「バレット」ほどのキレもなければ、ヒル作品の魅力であるタイトな語り口もない。 いったい、自分は何を観ているのだろう?と、鑑賞中何度も不思議な感覚に襲われた。映画史上ナンバー・ワン興収作品「アバター」で共演したロドリゲスとウィーヴァーも、いつかこんなけったいな映画で再共演することになるだろうなどとは夢にも思っていなかっただろうし、アンソニー・ラパグリアやトニー・シャローブなんていう実力派の俳優たちも、どうしてこんな作品に出演を決めてしまったのか、撮影中に正気に戻って深く反省した瞬間があると思う。そう思いたい。 ところが、観ているうちに、なんだか面白くなってきた。 

 この出来損ないの映画が、ヒルのストレートな心境告白、というか、時代/時勢へのプロテストに思えてきたのだ。 

 七十年代のいわゆる「女性映画ブーム」以来、やむを得ず女性の立場に身を置くことになった男性が、そのことによって女性がどれだけ差別に苦しんできたか、ほかならぬ自身自身がいかに女性の権利に対して鈍感であったかを思い知らされて変わっていく、というのはアメリカ映画の一つの典型になった(例「クレイマー、クレイマー」、「ミスター・マム」、「トッツィー」ほか多数)。 

 マッチョな殺し屋が性転換手術を受けて…というのは、このパターンの究極の形である。ところが「レディ・ガイ」のヒーロー(ヒロイン)は、そこが全く変わらない。肉体が女性になっても思考は男性のまま、筋肉信仰、銃器崇拝に変化なし。結局何にも変わんないじゃん!と、マッド・ドクターは嘆くのみ。 このドクターを演じているのが、「エイリアン」(77)のヒロインを演じてフェミニズム・ヒロインの象徴となったウィーヴァーであるのも面白い。 

 男性権力の象徴であるエイリアンと戦ったウィーヴァー/リプリーは、バックラッシュの嵐が吹き荒れたレーガン時代に作られた「エイリアン2」では、肥大化しすぎた女性解放運動の象徴であるエイリアン・クイーンと戦う「母」のアイコンに変化するという逆転を遂げたものの、現在も映画史に刻まれているのは「フェミニズム・アイコン」としてのリプリーである。 そして「エイリアン」のプロデューサーは、ほかならぬウォルター・ヒルなのだ。 

 「エイリアン」という作品はアメリカでのフェミニズムの台頭を映し出す作品であり、フェミニズムの台頭を後押しした作品でもある。そして、そのことによって「エイリアン」はフェミニズムなどに1ミリも共感していない(そのことは、これまでの作品歴を見れば明らか)ヒルの理想とするマッチョな男性像を、今や破壊し尽くそうとしている(と、ヒルは考えているようだ)。

 ウォルター・ヒルは「レディ・ガイ」という作品で、どんな変化を被ろうと絶対にマッチョであることを止めない主人公に、(ヒル自身が生み出した)「怪物」=ウィーヴァーを‘去勢’させているのだ(わかりやす過ぎる‘去勢’のシンボルも登場しますよ)。 

 「変化は避けられない」という主人公の独白がラストにあるので、ああ、それでも変わらねばとは感じているのかなあ、と思っていると、ラストに「四五口径だけは嘘をつかない」という、まんま男根崇拝の変なポエム(?)が唐突に出てくるので、やっぱXXXかよ!ということになる。 

 「女に改造されても、弾丸(タマ)はある」という日本版のコピー、最初に目にしたときは、いかがなものか、と思ったが、今では作品の本質を突いた秀逸なものだと考え直したよ。

 「レディ・ガイ」という作品を観て、ヒルの怒り、焦り、決意に共感も感動もしないけれど、ぶれないなあ、と感心し、少なくとも潔いとは思わずにいられないのである。


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 最新号。連載に加えて「15時17分、パリ行き」特集にも書かせてもらいました。

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by broncobilly | 2018-02-20 15:29 | 映画評
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