おにがしま


映画批評家      鬼塚大輔      による映画評その他なんだかんだブログであります。
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年末大掃除(2)

 今日はNETFLIXで観た作品のことを書くつもりなのだけれど、その前に「アリー/スター誕生」のことをもう少し。

 今朝の朝日新聞/文化文芸欄に石飛徳樹氏が「ボヘミアン・ラプソディ」大ヒットと、「アリー」の意外な不振について書いておられる。
 で、つらつら考えたのだが、ぼくが「アリー/スター誕生」という作品が好きなのは、日本でのスタートダッシュ失敗と関係があるような気がするのだ。
 つまり、昨日のポストにも書いたリアクション・ショットのことである。

 繰り返しになるがブラッドリー・クーパーはどのステージ場面においても、曲を聴いている観客や登場人物のリアクション・ショットをインサートしない。
 クライマックスで亡き夫を偲びアリーが熱唱する場面でさえも。
 ここで観客席にいるアリーの父やジャックの兄、親友が涙を流したり、微笑みながら聴き入っているショットを挟み込めば、観客は気持ちよく感動し、物語は「いい話」として無事に着地する。
 このあたりは「ボヘミアン・ラプソディ」が実に効果的に、あざといほどに使っている。そして観客を気持ちよく泣かせ、感動させる
 だがクーパーはそれをしない。パフォーマンスを徹底的に撮し、聴かせ、最低限必要な回想ショットだけを使う。ガガの圧倒的なパフォーマンスに集中することを観客に強いるのである。
 実は昨日「午前十時の映画祭」で「パリの恋人」を(三度目になるが)観た。オードリー・ヘップバーンが最も美しく可愛らしく撮れているのはこの作品だと思うが、率直に言ってミュージカルとしてはスタンリー・ドーネンの他の傑作たちよりは落ちると思う。それでも充分に楽しい。
 そして感じたのは、出演者のパフォーマンスを徹底的に、最も効果的にスクリーンに定着させようという強い信念である。演者が最高の芸を披露しているのだから、視点を他に逸らしたりせずに、その芸をがっつりと見せよう、聴かせようという揺るぎない姿勢である。黄金期のミュージカルは、それが当然だったのだ。

 石飛氏は朝日の記事の中で「アリー/スター誕生」の'大爆発'に期待を寄せておられるが、ぼくも「ボヘミアン・ラプソディ」を楽しんだ人たちに、音楽と映画の関わり方の別の側面を堪能してほしいと思う。

 でもって、NETFLIXです。

 なんと言っても、やられた!のは、アルフォンソ・キュアロンの「ROMA/ローマ」。
 七〇年代のメキシコ・シティを舞台にした、ある中流一家と、家政婦クレオの物語。キュアロン自身の仮定がモデルとなっているとのことで、クレオに相当する家政婦はまだキュアロン家にいるのだとか。

 まず、冒頭から水、水に映った映像にやられてしまう。
 「トゥモロー・ワールド」、「ゼロ・グラビティ」ほどトリッキーなカメラの動きはないのだが、視点はほぼ横移動。どの構図も完璧に近く、モノクロの深みのある映像と相まって、うっとりと眺めてしまう。

 不気味で不穏な政情が背景に見え隠れするものの、そんな中でも平凡な一家と、家政婦の日常と非日常は続いていく。

 「トゥモロー・ワールド」で出産場面をまともに描写していたのには度肝を抜かれたが、やはりキュアロンは出産/命の誕生という営みに特別な興味があるようで、「ゼロ・グラビティ」でもサンドラ・ブロックが宇宙から脱出する場面には、出産/命の誕生というイメージが重ねられていた(ちなみに、「ゼロ・グラビティ」を観たときには「宇宙からの脱出」に似ているなあ、と思ったのだが、「ROMA」には登場人物が「宇宙からの脱出」を観に行く場面がある)。

 「ROMA」にも圧巻の出産場面があるのだが、これは死産に終わる。しかし、この後出産のイメージはもう一度別の形で繰り返され、それが'母'への救済となる。

 政治的不穏、家族の中の悲劇、死産など、暗い出来事が次々と描かれるのだが、しかしぶっ飛んだユーモアも散りばめられていルのが素晴らしい。'不可能なポーズ'のギャグ最高!

 バカンス先での夕食の席で、父が家庭を捨てたことを初めて子どもたちに告げる母。当然、どんよりとなる子どもたち。ウエイトレスがやってきて「デザートは、いかが?」
 こんな雰囲気でデザート食べるわけないだろ!と思う。パッと画面が切り替わると、レストランの外に出た一家が、みんなでアイスクリームを舐めている。その背後では結婚式の真っ最中。
 この場面は、本当に素晴らしい。悲劇と喜劇の見事な融合。この一家にとっての一つの'終わり'はまた'始まり'でもありうる。「生きる」の'ハッピー・バースデイ'を思い出した。
 人生は悲劇だけでも喜劇だけでもない。どちらかが交互に、あるいは同時にやってきて、そして終わるまでは続くのだ。

 横移動のみだったカメラが初めて上昇していくことで'希望'を提示するラストまで、ただ惚れ惚れと画面を見つめるのみであった。

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 スティーヴン・キングが「悪評に騙されるな。必見!」とツィートしていたのが「バード・ボックス」。

 'なにか'を見てしまうと精神に異常をきたす病(?)が蔓延し、文明が崩壊した世界。未発症者たちと共に一軒の家に籠城することになる妊娠中のサンドラ・ブロックの姿と、それから時間が経った後、サンクチュアリを目指して、二人の幼子と旅をするブロックの姿が交互に描かれる。

 別に傑作だとは思わなかったが、確かに言われているほど酷い出来でもない。

 期待しすぎたせいか、なんだかもったいぶってるなあ、と感じた「クワイエット・プレイス」よりは、自分的には楽しめた。

 「オーシャンズ8」つながりでゲスト出演したと思しきサラ・ポールソンが早々と姿を消してしまうのには拍子抜けしたが、籠城組の一人であるジョン・マルコビッチが披露するアクの強い芝居を久々に堪能できた。「ボヘミアン・ラプソディ」の'マイアミ'役が良かったトム・ホランダーがひょっこりと顔を出すのも、ポイント高し。

 「クワイエット・プレイス」では、モンスターの姿が例によって例の如きC.G.I.モンスターで描かれた途端に、あーあ、となってしまったのだが、「バード・ボックス」は感染者が描くスケッチとか、ザワザワっと立ち上る枯葉とか、最後まで間接的に描写されるのが良かったっす。

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 「ブラック・ミラー/バンダースナッチ」。視聴者がリモコンで物語の進行をところどころ選択していくインタラクティブ・ドラマ。ぼくは九〇年代でRPGゲームをするのを止めてしまったけれど、当時でもこのくらいのメタ・フィクションは存在していた。

 ぼくがメタ・フィクションで最も衝撃を受けたのは「新スタートレック」の「甦ったモリアーティ教授」のラストのセリフだったのだが、それを越える衝撃を「バンダースナッチ」から感じることはなかった。

 多くのRPGがそうであるように、「バンダースナッチ」も、視聴者/プレイヤーの完全自由意思というわけではなく、ある一定の方向に誘導されるように作られている。

 それでも、それぞれの選択によって変わってくる物語の展開は面白いし、ゲームではなくドラマで「第4の壁」を破ろうとする試みは興味深い。「バンダースナッチ」を面白くしているのは'自己批評性'だが、今後の手のドラマが増えていくとして、毎回'自己批評'というわけにもいかないので、どこにRPGとの違いを探っていくのかがポイントだと思う。

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by broncobilly | 2018-12-30 10:11 | 映画評
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