おにがしま


映画批評家      鬼塚大輔      による映画評その他なんだかんだブログであります。
by broncobilly
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「チェ/39歳別れの手紙」Che Part II (08)

 二部作の二作目、というか、ソダーバーグは一本の作品として考えてほしいようなので"一本の作品の後半"と言うべきか。キューバでの革命を成功させたものの、新政権の中枢となることをよしとせず、ボリビアでの革命を目指したものの、夢破れて銃殺されるまで。
 ゲバラという人物については少しは知っていたのだが、こうして映像で見せてもらうと、またあらためていろいろと考えさせられる。
 J.K.ガルブレイスは「革命とは腐ったドアを蹴飛ばすようなものだ」と言った。キューバというドアは腐っていたが、ボリビアというドアは腐っていたかもしれないにしても腐りきってはいなかった。ドアを通って共産主義がやってくることを恐れたアメリカが補強してしまったのだなあ、ということが知識としてではなく、実感として伝わってくる。
 伝わってこないのが、なぜチェ・ゲバラが一つの革命の成功に満足せず、さらに次を求めたのかということ。もちろん、原体験は「モーターサイクル・ダイアリーズ」でも描かれているし、著作には高邁な理想が語られている。だが、高邁な理想だけで邁進を続けられるのは聖人だけである。そしてぼくは聖人の存在を信じない。ソダーバーグもあえてゲバラの内面にまで迫っていこうとはしない。前作、もとい前半同様淡々としたタッチで、起こったこと、を追っていく。
 結局この人は、自分の中に充満するエネルギーをキューバ革命だけでは消費できず、新たな燃焼の場を求めてボリビアまで行ったのではないかなあ、などとほかのソダーバーグ作品のヒーロー/ヒロインと重ね合わせて考えた。
 淡々としたタッチで、と書いたが、やはり"英雄"が追い詰められ、死へと向かう展開は、自然とドラマティックなものとなる。特に、映画における主人公や主要登場人物の死刑や処刑の場面は、誰がどう撮ってもきわめて強烈に観客の心を揺さぶる。これをクライマックスに持ってくるのはある意味卑怯なことではないかとさえ、ぼくは思っている(「グリーン・マイル」、「カポーティ」etc. 「ダンサー・イン・ザ・ダーク」は確信犯だし、あそこまで徹底すれば立派)。
 だが、さすがソダーバーグ、ゲバラの視点で銃殺を撮るという離れ業で、観客に異色のインパクトを与えつつ、型どおりの"衝撃"を回避している。「クローバーフィールド」ほか、最近流行のPOVホラーで登場人物の視点がそのままその人物の死を描くことも増えたが、「チェ」の処刑場面は、その人物のカメラではなく、ゲバラの"目"-本当の意味での視点なのだ。無造作なようで計算されたこの場面の美事さに関しては撮影監督ピーター・アンドリュースの功績も大きい、ってソダーバーグのことですが。
 いずれにせよ、凡百の偉人伝とはまったく違った伝記映画を完成させたスティーブン・ソダーバーグの手腕と感性は大いに讃えたいと思う。
 
映画・ドラマ

by broncobilly | 2009-01-28 09:48 | 映画評
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